【不安3. 協力体制はつくれるか】
北海道留萌でナマコ漁業の管理を引っ張った漁業者、米倉宏氏は「ナマコは外から泳いで来ない。地元の資源を守るのが大切」と語る。泳ぎ回らない資源は、増えると地元の漁業者が直接もうかるので、漁業管理も協力されやすい。一方、広く泳ぎ回る魚には、漁業者が「自分たちが獲り控えても、他の漁村で獲られれば意味がない」という不安を抱く。では、魚の泳ぐ範囲全体で漁業者が協力するため、どんな努力がされてきたのだろうか。
現場が行政巻き込む 瀬戸内海サワラ漁
瀬戸内海のサワラの漁獲は1987年に約6,000トンあったが、1998年に200トンに激減。この間、資源量は推定1万6,000トン超から700トン強まで落ちた。未成魚の獲り過ぎなどが原因とみられた。1997年、香川県の刺網漁業者らは、小さなサワラをすり抜けさせるための網目の拡大や、自主休漁を始めた。
取り組みに反対する漁業者も多かったが、「本当に魚がおらず、リーダー格の漁業者が周囲に(取り組みへの)思いを伝えていった。県や漁連が『獲り過ぎ』と言うようになった」(香川県さわら流しさし網協議会宮地利博会長)。この際「関係者の納得を得るため、管理の根拠が大事だった。漁業者からの要請で県や国の科学者が応えていった」(香川県)。
漁業管理は県内の異なる漁法や地域に広がり、1998年には県外でも本格化。国は0歳魚の人工ふ化放流を行い、香川・岡山・兵庫・徳島の漁業者は0歳魚の漁期を自主休漁した。2002年は水産庁が主導し、網目拡大や自主休漁を11府県まで広げた。推定資源量は2012年以降6,000トン前後まで回復し、漁獲量も2,000トン強になっている。
科学者が管理促す 沖縄マクブ漁
沖縄県北部の漁業者らは協力し、2003年から自主的に高級魚マクブ(シロクラベラ)の漁獲サイズを制限。2015年以降は県行政が同海域で35センチ未満のマクブを禁漁した。2017~2018年を2003年と比べると、資源量の指標値(漁獲努力当たりの漁獲量)は8割高く、漁獲量は7割多くなり「漁獲制限が関係した可能性がある」(沖縄県水産海洋技術センター秋田雄一研究員)。
沖縄市周辺でも、漁業者が2014年からマクブの漁獲体長を自主規制。2019年から県の規則にした。自主規制を主導したあわせ・はまや里海漁業協議会の柳田一平会長は「以前、小型魚を守ろうという漁業者は『おかしな人』扱いされた。ただ科学者が管理の効果を分かりやすく示し、リーダー的な漁業者にも『プロなら良い(値の付く)魚を獲ろう』という人がいて、徐々に意識が高まった。沖縄市周辺では資源が減っており将来が不安。今は耐える時」と将来を見据える。
今後、「サイズ違反の魚を出回らせない監視、漁業者を増やし過ぎないための規則づくりなどが課題」(柳田氏)という。
業界団体が主導 北まきサバ漁
日本の太平洋側にすむマサバの資源は、1977年に478万トンあったとみられるが、1歳以下の未成魚の獲り過ぎなどで2001年には推定15万トンに激減した。2000年代後半までの漁獲枠は乱獲を防ぐための科学者の勧告(ABC)を超え、その枠も2005~2006年には守られなかった。
かつて太平洋系マサバ漁のシェアの8割を占めた北部太平洋まき網漁業協同組合連合会は2003年から、国の支援の下で未成魚の獲り控えなどを進めた。2007年には漁獲枠を守る動きも加速。漁業者と話し合いながら、各月の漁獲枠を漁船個別に割り当てて順守した。「2003年の取り組みから、漁業者の間で『(資源管理を)やってみよう』との機運は高まっていた。取り組みの1年半前から協会と船主らが協議し、船主から漁業者に説明もしていた。2007年の取り組みはスムーズに受け入れられた」(田中弘太郎同協会専務)
その後は枠自体も科学者の勧告以下に抑えられ、資源は増加に向かった。2018年の資源は560万トンと見積もられる。
いずれの事例も、一部の漁業関係者が声を上げ、行政や科学者の力を借りながら協力者を増やしていったようだ。
EDF(環境保護基金)提供。本記事は、みなと新聞の許可を得て転載しています。
- みなと新聞電子版2020年2月19日配信
- 切り抜き紙面 (PDF, 1.7MB)
- みなと新聞電子版(会員限定):https://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/e-minato/articles/99127
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